存在か、出現か
存在か、出現か? イタリア人は、自分のことを知りすぎるのをいやがる。自分の顔を鏡に映して見なければならなくなったら、自分自身の姿を否定して、自分の癖や弱点を他人のせいにする。自分がとらわれている世界を勝手に作り出し、その鍵を持っているのは自分である。かごの中のカナリア、飛ばない、小さな檻から出るのが怖いカナリア。
自分の責任と直面するのを嫌い、代わりに責任を取ってくれる誰かを愛する。政治に携わらないで、被るだけだから純粋であり、自分の仕事ではないといって、法律を犯す人を訴えないから、正直である。好きでない世界が、決して変わることがないとあきらめている。その日暮らしをし、英雄に蕁麻疹がでる。そのような手本には、途方にくれてしまう。自分よりも悪い人(自分を上だと感じさせてくれる)の方を好み、それを基準にし、首相、党首、ジャーナリストに任命する。
自分の肖像画は最大の敵である。一生を通じて、比較を避ける。それが致命的だと知っているから。
「テーブルからランプを取り、注意深く階段を上がった。扉を開けるとき、不思議に若い彼の顔に喜びの笑みが浮かび、それは唇に一瞬とどまった。肩の荷は下りたように思えた。安心して中に入り、いつものように背の扉を閉め、肖像画の深紅の布をはずした。苦しみと憤りのうめきが、口から漏れた。何の変化も見出せなかった。狡猾な表情の目と、偽善者の皺がうかんだ口よりほかに。より不快で、前より、ずっと胸のむかつくような ..." (ドリアン・グレイの肖像 オスカー・ワイルド)
自分自身に対する評価は、自分が最初に偽りであると知ってはいても、自分が所有しているもののうちで最も重要なものである。人生にわたってそれを保ち、苦しい比較を避ける。その存在はかくれんぼうの遊びである。「望んでいるが、できない」、「自分よりも大きな何か」で、「誰かが解決してくれる」ものである。無意識のエゴイストであるのに、それに気づかず、また知りたくもないのだろう。日の光の恐怖、実はそうではないことに気づいてしまう恐怖の中に生きている。
by Beppe Grillo 08:05 嘆きの壁
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