2011年3月17日

3月17日にイタリア統一150周年を祝う日とするのは、良い考えだと思う。わざと17を選んだのだろうか。この日には決定を避ける人がいるし、買い物もしない、家から出ない人もいる。結婚しない、出発しない、その数字を避けて16階から18階になる建物もある。三色旗の中心に黒猫だけが欠けている。3月17日はピンセットで摘まむべき、嫌われた日だ。3月17日に起こった事件をあげると、
180年、コンモドゥスがローマの皇帝に即位。しかし元老院と民衆がその死を望み、死体はテヴェレ川に捨てられた。
642年、バドレでイスラムとの戦いに初めて勝利するが、イスラムは地中海全域とスペインに拡大する。
1942年、ナチのBergen-Belsen の最初のユダヤ人強制収容所が稼動。そのあと、数百万人の犠牲者が続く。
1959年、第14代ダライ・ラマがチベットから亡命。
1981年、リチョ・ジェッリの自宅から秘密結社P2の会員リストが見つかる。
1989年、パドヴァで800年前に作られた塔が崩れ、4人が死亡、15人が負傷。
サヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエレ二世がその日にトリノでイタリア国王を宣言した日だから別の日にはできない、と私に反対する人もいるだろう。もっとふさわしい日にしたほうがよかった。たとえば1946年6月2日、イタリア共和国の誕生の日でもよかっただろう。 1861年3月17日は、イタリアの一部のサルデニア王国への併合を祝い、ローマとトリヴェネト地方はまだイタリアではなかった。ニースを失ったサヴォイアは、その後イタリアが占領したオーストリアの南チロルよりももちろんもっとイタリア的ではあるが。南イタリアの住民の、ほとんど大量殺戮の規模の戦いを行った。 結局のところ、いったい何を祝えばいいのだろう。1861年は、国の誕生が祝われたわけではなく、イタリアにおけるサヴォイア家の支配の拡大の年である。トリノの議会で承認された条項は、実際「ヴィットリオ・エマヌエーレ二世は、自身とその継承者のためにイタリア国王の称号を受ける」と書かれている。ピエモンテでは、イタリア語が話されておらず、フランス語を使っていた。イタリア半島のその他に対しては別の世界だった。
イタリアはその150周年を、汚職、マフィア、すべてについて対立、国からの独立主義者が国の政府におり、議会は腐敗、首相は恥ずかしくて世界に出せないような人物で、疲れ果て、精根尽き果てた状態で迎える。この現在はあまり栄光に輝いていない私達の過去から生まれた。いわゆる祖国の父とともに、それを問題にしたことはないが。
まあ、17日を祝日として祝ってもいい。結局のところ、春の長い週末の始まりだから。4連休にして。だがすぐ後に1分の黙祷が必要だ。
Ps: 17日には、すべてが起こる。2月17日は「リビアの激怒の日」でもある。皆さん、17日について知っていることを教えてください。
by Beppe Grillo 11:21 嘆きの壁
| コメント(0)
コメントする
| ブログに登録する
| 友達に送る | GrilloNews
|
View blog opinions





コメントを書く
ベッペ・グリッロのブログはみんなのためのオープンスペースです。お互いが直接話し合えるように作ってあります。皆さんのコメントは、フィルターにはかけられず、すぐ公表されます。ブログの有用性はみなさんの協力次第です。ですから各自がコメントの内容には責任をもってください。
ブログに参加する前に注意書きをよく読んでください。
禁止事項
- ポストと関係ない解説
- メールアドレスない解説
- 無名解説
- 広告解説
- 汚い解説
- 卑猥な解説
- 民族主義的内容の解説
- イタリアの法律に違反する解説(暴力,中傷)
とにかく、ブログの持ち主はいつでも解説を消すことができる
なお、ブログの持ち主他人の無礼な解説の責任をもらわない 最大2000字まで.
疑問点があれば「ブログの使い方」を読んでください。".
コメントを書く(日本語で、お願いします)